切腹は武士としての誇り?
2018/ 12/ 05自ら命を断つ音が、なぜ誇りなのだろう?
死を選んで、結局は君主のために尽くしたと納得していたのだろうか?
他の仲間と、寺子屋で、あるいは日々、親からそのように言われていたら、
もしかしたら、shoも同じように、何の疑問もなく、
それが武士の最高の名誉であるかのような錯覚を信じただろうか。
教育とは、怖いものだ。
いつの間にか常識になってしまう、誰も異議を唱えることなく、
それが普通になってしまう、ってことだ。
狭い国で、たった一つの価値観がはびこり、唯一の、例外を許さない、
規則以上の価値を持つようになっては、いけない。
当然、切腹が悪く思われていた地方もあれば、
宗教上の理由から、その常識がおかしいと、変だと異議を唱える人はいたのだろう。
が、権力には勝てない。
封建制度の下、命を落とした、、、、あえて、命を落とした人、
最近では、特攻隊の若い戦士たちも、その犠牲になったと、shoは思う。
お国のために命を、、、その考えはおかしいものだと思う人は、いたのだろう。
時の権力者が勝手に決めた価値観に、どうして庶民は従わなくてはならないのだろう。
自分たちが選んだ人でない’リーダー’に、なぜ身を任せる、命を献上する必要があるのだろう?
shoは、最近、大事な友人を一人失った。
突然死とはあまりに突然で、残された者にとっては、なすすべもなく、
ただただ、オロオロしている。
彼も自らも好んで死んだはずはないのだが、
あまりに酷い、急なことだった。
が、例えば、その突然死にしても、
苦しむことなく彼は死んだのだから、むしろ良かっただろう、
癌などで病に苦しむことなく、
誰の迷惑にもならずなくなったのだから、
幸せというもの、、、そんな考えもある。
よく、人はそのように言う。
そんな価値観も、悪くはないのかな。
それは、学校教育でもなく、時の権力者が植え付けた思想でもなく、
自然に、人々の間で生まれたものである。
死の直前まで、ベッドに寝たきりになり、起きれない生活。
それでも、生きたい、自分から命を断つとは考えない。
一方、毎日病院に通い、一向によくならない患者として様子を伺うなんて、
正直、寝たきりの患者にも、訪問者にも、辛いのではないかな。
それでも、生きていてほしいと、周りの人は思う。
私の友人は幸せな死に方をしたんだと思えるか思えないか、それはsho次第なのだが、
残されたものとしては、心の準備が必要だった。
もっともっと生きていて欲しかった。
死んだしまった今となっては、
何を願っても会うことはできず、
いくら心の中に生きています、と言っても、
酒を酌み交わすことはできない、
愚痴をこぼし、怒り、笑い、、同じ時を過ごすことは、
もう、ない。
その現実は、しんどい。
思った以上に、しんどい。
が、もし、死ぬことは美徳で、神のもとに召されたという思想があって、
ぞっこん信じていれば、
彼は神に呼ばれ、今はもっと幸せな時を過ごしているにちがいないと、
思えるのだろう。
とうことは、悲しみを、宗教で癒すことができる例である。
ものは考えようなんだと、
なんか嘘くさいが、まやかしのように思えるのだが、
悲しみや不幸を和らげるものとして知恵を使えるのなら、
その程度かなとも思う。
武士としての誇りである死も、
本当はそうではないのだが、
何度も何度も、馬鹿みたいに繰り返し繰り返し、「武士の誇り」などと
言い続けていると、そうなるのかもしれない。
自分に、あるいは、人々を洗脳させて、思い込ませて、
悲しみを和らげる効果があるのかもしれない。
庶民よ、切腹は最大の謝罪であるとともに、君主に対しては、名誉ある恩返しであると思いなさい、、なんてね。
死を選んで、結局は君主のために尽くしたと納得していたのだろうか?
他の仲間と、寺子屋で、あるいは日々、親からそのように言われていたら、
もしかしたら、shoも同じように、何の疑問もなく、
それが武士の最高の名誉であるかのような錯覚を信じただろうか。
教育とは、怖いものだ。
いつの間にか常識になってしまう、誰も異議を唱えることなく、
それが普通になってしまう、ってことだ。
狭い国で、たった一つの価値観がはびこり、唯一の、例外を許さない、
規則以上の価値を持つようになっては、いけない。
当然、切腹が悪く思われていた地方もあれば、
宗教上の理由から、その常識がおかしいと、変だと異議を唱える人はいたのだろう。
が、権力には勝てない。
封建制度の下、命を落とした、、、、あえて、命を落とした人、
最近では、特攻隊の若い戦士たちも、その犠牲になったと、shoは思う。
お国のために命を、、、その考えはおかしいものだと思う人は、いたのだろう。
時の権力者が勝手に決めた価値観に、どうして庶民は従わなくてはならないのだろう。
自分たちが選んだ人でない’リーダー’に、なぜ身を任せる、命を献上する必要があるのだろう?
shoは、最近、大事な友人を一人失った。
突然死とはあまりに突然で、残された者にとっては、なすすべもなく、
ただただ、オロオロしている。
彼も自らも好んで死んだはずはないのだが、
あまりに酷い、急なことだった。
が、例えば、その突然死にしても、
苦しむことなく彼は死んだのだから、むしろ良かっただろう、
癌などで病に苦しむことなく、
誰の迷惑にもならずなくなったのだから、
幸せというもの、、、そんな考えもある。
よく、人はそのように言う。
そんな価値観も、悪くはないのかな。
それは、学校教育でもなく、時の権力者が植え付けた思想でもなく、
自然に、人々の間で生まれたものである。
死の直前まで、ベッドに寝たきりになり、起きれない生活。
それでも、生きたい、自分から命を断つとは考えない。
一方、毎日病院に通い、一向によくならない患者として様子を伺うなんて、
正直、寝たきりの患者にも、訪問者にも、辛いのではないかな。
それでも、生きていてほしいと、周りの人は思う。
私の友人は幸せな死に方をしたんだと思えるか思えないか、それはsho次第なのだが、
残されたものとしては、心の準備が必要だった。
もっともっと生きていて欲しかった。
死んだしまった今となっては、
何を願っても会うことはできず、
いくら心の中に生きています、と言っても、
酒を酌み交わすことはできない、
愚痴をこぼし、怒り、笑い、、同じ時を過ごすことは、
もう、ない。
その現実は、しんどい。
思った以上に、しんどい。
が、もし、死ぬことは美徳で、神のもとに召されたという思想があって、
ぞっこん信じていれば、
彼は神に呼ばれ、今はもっと幸せな時を過ごしているにちがいないと、
思えるのだろう。
とうことは、悲しみを、宗教で癒すことができる例である。
ものは考えようなんだと、
なんか嘘くさいが、まやかしのように思えるのだが、
悲しみや不幸を和らげるものとして知恵を使えるのなら、
その程度かなとも思う。
武士としての誇りである死も、
本当はそうではないのだが、
何度も何度も、馬鹿みたいに繰り返し繰り返し、「武士の誇り」などと
言い続けていると、そうなるのかもしれない。
自分に、あるいは、人々を洗脳させて、思い込ませて、
悲しみを和らげる効果があるのかもしれない。
庶民よ、切腹は最大の謝罪であるとともに、君主に対しては、名誉ある恩返しであると思いなさい、、なんてね。
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