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人は見かけがほとんど、の嘘

2018/ 12/ 14
                 
答え:それは、大嘘である。
理由:誰もあなたを見てはいない。


ちょっと、心理学っぽい問答であるが、真実ですね。実はこれ、学生に答えたsho独特の答えであって、、、学生にというのは、彼らはまだ若くて、その年頃には、共通して、自分と他人との違いを知り(自分は他の人とは違いながら今後も行きて行く)、人はそうした宿命を持っているのだ云々、という年代であって、大人への第一歩の階段を確実に登って行く段階の、昔で言えば疾風怒濤の時代なのだ。疾風怒濤、、懐かしい表現であるが、僕らはそう教わった。嵐の中に佇む一人の少年あるいは少女、誰も助けてはくれない、孤独の人生への旅立ち、その入り口、あるいは出口にいるわけだ。
人とは違うのだ、、皆、違って当たり前なのだが、これまで高校、大学と一緒に過ごしてきた仲間とは、、ちょっとは自覚してきたが、やはり、進む人生は異なり、成功するものもあれば失敗を繰り返し、また失敗し、やっとの思いでまともになる、、、みたいな人生かもしれない、、、そんなことを意識しだす不安な時期でもある。

そこで、人は個性にあふれ、自分らしく生きるべし、、、なんて説いても、上のように、人は見かけがほとんど、なんてあほのようなことを堂々という社会風潮の中では、テレビやマスコミに影響されやすい学生や若い人はまともに信じやすく、特に、やっぱりな、なんて諦めの気持ちに陥る可能性が大きい。
テレビで見るスタイリッシュな若者は、皆、ほっそりして綺麗なお洋服を着て、白い顔で、まるで物語に出てくるプリンスかプリンセスであるよ。

が、テレビや画像、外見、ファッションなど、その道で働く人は、そう言うだろう。当然ですね。だって、スポンサー、共産企業、それにくっつきたがる輩は数えきれない。それはそれでいい。なんとでも言えばいいさ。それは、彼らの仕事であるからさ、仕事で頑張ればよい。

人は見かけがほとんど、は、ほんの業界に一握りの人が放つ言葉であって欲しい。

shoの知っている外国人は、ファッションって何?って感じである。
その服、日本では考えられない旧式の、ヨレヨレのコートのように見えたり、、節約なのか、こ綺麗にする日本人の目からは、毛玉がたくさんのオーバーであったり、、人に会う際の洋服とは思えないような格好でくるのがほとんどで、だからと言って、彼らの個性も意見も何も否定するもんではなく、話の内容には驚くようなことがしばしばであって、学ぶことが多い。自分の考えをしっかり持ち、言うべきことは言い、もっともらしいことを表現しているように思われる。格好いい。す思うことがよくある。着るものは大したことはないが、言うことは世界一スマート。

ま、それは教育の成果、文化の違いだと思うのだが、それも、一概に良いか悪いかは、言えない。

元に戻るが、見かけなどどうでもいいのだよ、結論は。自分に関係のない人を、通りすがりの人々を、我々はただ見過ごしているだけで、一秒以上見ていることはまずない。どうでもいのである、人なんかは。誰がどう言う格好していようが、それがなんだと言うのか、あんたには関係ないだろう、って感じですね。

100人の学生に聞きました。ほとんど全員が、自分の容姿、体型、外見などに自信がないとのことです。もっと鼻が高買ったら、もっと髪が綺麗だったら、ストレートだったら、足が長かったら、、キリがない。

だから言ってやった。おい、心配するな、ほとんどの人は自分に自信がない。95%以上の君らの仲間が、何らかの不満を持ち、コンプレックスに悩んでいる。皆同じさ、、と。

瞼が二重になりたくて韓国に行く人、手術代が安いと、、、。整形に通う女子は、顎の骨を削りたいと、、、。好きにしろ。その前にもっとやるべきことがあるだろ、、、なんて思ったりするのだが。

ともかく、ともかくだ、訳のわからないこと抜かす輩は、いっぱいいる。しかも、それらを後押しするばかな連中も、キリがない。心配するな、そいつらも皆、何らかのコンプレックスを持ち、容姿や体型、中身には全く満足していないのである。悩んでいるのだよ、心底。

どいつもこいつも、勝手なこと言いやがって、と特に最近思う。

言論の自由だが、聞かされる者にも、聞かない自由、見ない自由があるのだよ。

どうか、人の言うことなど、話半分くらいに聞いて、ああ、そんな考えもあるのだな、くらいに流すのも手である。いちいちまともにとっていては、疲れる。誰もあなたのことなど、見てはいないのである、ある意味残念だが、事実です。




                         
                                  

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